相対と絶対
日本人は良く誰かと比べることが多い民族性だと思う
収入、学歴、容姿、ファッションなどなど
でもほんとは自分を誰かを相対的にみてると意外とわからないことが多いんじゃないかな。
海外と日本を比べても仕方がない
価値観が違うしね
2023年ごろ世界で一番幸せな国と言われたブータン
国民が皆一様に「雨風をしのげる家があり、食べるものがあり、家族がいるから幸せだ」と答える姿が報じられた
そんなブータンは2019年度版の幸福度ランキングで156か国中95位まで転落
かつてブータンの幸福度が高かったのは、情報鎖国によって他国の情報が入ってこなかったから
情報が流入し、他国と比較できるようになったことで、隣の芝生が青く見えるようになりことが原因
誰かと比べて行けば勝ち組と負け組妥協組が生まれるだけ
今後日本に高度経済成長が生まれない以上、今あるパイを取り合うだけの争いになっている。
誰かが3倍儲ければ誰かが1/2倍損する反比例のようなものだ
そんな相対的な感覚でやっているようでは全体の成長(ブレイクスルー)はない。
そうではなくて人はみな自分なり、民族なり、国家なりの絶対的な価値観を持つ必要があるのではないだろうか
ぜっ‐たい【絶対】
の解説
[名・形動]
1 他に比較するものや対立するものがないこと。また、そのさま。「—の真理」「—な(の)存在」「—君主」
2 他の何ものにも制約・制限されないこと。また、そのさま。「—な(の)権力」
3 ⇒絶対者
別に難しいことを言っているのではなく、自分の幸せを誰かと比べるのではなく、自分の価値観や信念に沿って生きてみるのはどうだろうかということ。
中学生ならば
誰かの成績と自分の成績を比べて満足してるなんて全然意味がない。
学校で学ぶことはパーフェクトで習得を目指すのがデフォ
比べてどうする(笑)
そもそも今や南加賀の8割の子供は勉強もしてないし塾も行ってない。
部活や社会体育はガチるのに(笑)
努力することなく惰性や成り行きで生きてるだけ
これでは価値観なんて生まれやしない。
小松高校の子達も以前は平均で金沢大学にチャレンジまたは合格かな~なんてよく言ったものだが、今は平均だといいとこ新潟や信州あたり
ボリュームゾーンが落ちてるのに未だに国公立推しとは…
もうそんなこと無理やり生徒に押し付けても難しいのではないか?
昔の上位半分のレベルを持った子たちは今は1/3しかいないのですぞ?
誰かと比べるのではなく、生徒たちが自分のやりたいことや行きたい大学をしっかり見据えて、絶対的な学力を持てばいいだけの話。
大金を支払って偏差値や学歴ばかりを押し出す予備校や塾に通う。
自分で考え行動し誰かと比べることなく自分の生き方を作り上げていく若い時期に、そういう価値観を押し付けてくる環境に子供を置くのは危険だと思ったりはしないのかな…
誰かと比べる生き方ではなく、自分の絶対的価値観で生きればみんなが自分なりの幸せを掴むことができる。
それは誰かが3倍幸せになればみんなが3倍幸せになれる比例式みたいな世界だと思うのだが…
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