心は形を求め、形は心を進める
意味(仏教のことば)
心を整えたくても心そのものは形を持たない。
だが、所作や行動といった、目に見えるものの形を整えることで、心を整えることができる。
内を変えたければ外を変える、外を変えたければ内を変える。
人生行き当たりばったりでも生きていくことができる。
そんな生き方でなりたい自分に”なれる”、または”なれた”のなら、かなりのラッキーマンか前世で徳を死ぬほど積んだ人☺️
だけど、もし理想があればそこに近づこうと一歩踏み出すことは難しいことではないのでは?
生まれた時から紳士淑女はいない。
そうなりたいという思いが自分を変えてゆく。
行きたい学校の生徒になりたいと強く思うことでそれは実現するだろう
そして進めていく中で勉強だけできても社会人としての知識や教養、所作や思いやりがなければ人としての価値は落ちると気づくかもしれない。
心・技・体
それに遊び心が加わればさらに魅力を増す。
それぞれを磨きあげ頑張った先に、さらに理想とする自分が見つかる。
それを目指してさらに努力することで人はそこに近づいていく。
旅に出たところで自分などめったに見つからない。
だってそれは自分の中にあるものだし、自分が作り出すものだったりするんだから。
まずは形から…でもいい。
何もできない学生なら机に座るところから
社会人なら家の掃除から
心がすさんでいるなら空を見上げることから
遊び心は釣り糸を垂れるところから
最初は難しいことより、できること。
徐々に自分を育てていけばいい。
最近は人生100年もあるらしいからね(笑)
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