さて、昨日の続きから
唐招提寺を出てしばらく歩くと薬師寺がある。
この薬師寺は元々は壬申の乱で天武天皇が共に命を掛けて戦った妻(後の持統天皇)の病気の回復を願い建立したお寺(元々は藤原宮にあった)。
そう、薬師如来は現世利益の仏様なのである。
天武天皇はその完成を見ずにこの世を去り、持統天皇は病気回復、孫の文武天皇の代で完成となるのだけど
ある意味このお寺は天武天皇の持統天皇への愛の証。
日本版タージマハルといったところか(笑)
その証拠に二人は檜隈大内陵という夫婦合葬墓に眠っており、とても深い絆で結ばれていたことがわかる。
そんな薬師寺金堂では中心に薬師如来が静の姿勢、脇侍に日光菩薩、月光菩薩が動の姿で置かれている。
当時病気を治す仏様はここにしかなかったので大変人気だったらしい。
白鳳時代の作品なので蝋型鋳造法なのも特徴だ。
そんな薬師寺の南大門には珍しい金剛力士像が安置されている
どうですか!このなまめかしさ(笑)
ポーズがインドっぽいでしょ?
写真には収まってませんが、普通は台座に乗っている力士像がここでは邪鬼をふんずけています。
しかも上半身に鎧を纏ってとってもカラフル!
この邪鬼はインドのヤクシー像がふんずけている生き物そのもの。
とてもマニアックな仏像だと思いませんか?
他にも国宝の仏足石や薬師如来がおかれていた台座など珍しいものがたくさん。
この台座にはギリシャの葡萄唐草文、周囲にペルシャの蓮華文、中框にインドのヤクシャ像、下框には四方を鎮護する中国の四方神(東に青竜、南に朱雀、西に白虎、北に玄武)など
シルクロードを越えて文化が到達した証を見ることができたりするのも当時の仏師の心に触れた気がしてうれしくなる。
そんな愛に満ち溢れた薬師寺で天武天皇の偉大さを感じ今度は今回のメイン会場興福寺&東大寺に向かうのであった。
ところで、このエリアを西ノ京というのだけど、これは元々平城京を朱雀大路で区切り、西半分をそう呼んだ名残。
当時このエリアは高級官僚が住んでおり、左半分には下級官僚や庶民が住んでいた。
そんな高級官僚が失敗をすると左に住居をうつすことになったことから「左遷」という言葉が生まれたそう。
そろそろ奈良へ行きたくなってきましたか?(笑)
続く・・・