大聖寺藩は10万石。
1石が150㎏のお米(60kgの米俵2.5個分)
昔1石は一年間に一人が食べる量の米だと聞いたことがある。
今の人口でも約7万人。
江戸時代はそれほど人口が多くなかったであろうと考えられるので、人口比で10万石は結構豊かだったのではないかと思う。
当然、石高に応じた幕府への責任も大きかったはずだけど…
そんな大聖寺藩の城下町大聖寺。
自分たちが中学くらいまではかなり賑やかな街だったんだけど…
それが今や寂しい街になってしまった…
街の新しいビルは市役所と警察署と銀行、病院だけ…
なんてお祭りの間、同級生達と昔話をしてた。
でも小さい街だけど横のつながりというか、仲間意識は強い。
街にいる人たちはお互いのことをよく知ってるしね。
でもこの3日間、スタッフとしてお祭りを見てるとこの街がなんでこうなったのかわかる気がした。
あぁ…やっぱりこんな人が多いんだなぁ…
テーブルの上に山のように置きっぱなしにされた空き瓶や缶。
こぼした食べ物や食べ残しをそのまま放置…
街でお店を営業しているくせに朝から大声で祭りにケチをつけて叫ぶ店主。
露店で買えばいいのにスタッフの飲み物をつまんでいく若い議員。
金色のネックレスや刺繍が入った黒いシャツをきて肩で風切るガラの悪いおじさんたち…
お祭りが終わってないのにお祭り唯一のトイレを使えなくさせる市民会館。
そして祭りの間トイレをまったく提供する気のない市役所。
正直トイレがどこにもない状態でお客を放置する祭りなんて聞いたことない。
けどそれをどうにもできない街の縛り。
これから下の世代たちがどんな風にこの大聖寺を変えていくのか期待したいところだけど、祭りが終わった後の早朝に行う市役所駐車場の洗浄(これがかなり大変)には次年度の責任者すら現れない始末…
これって景気や少子高齢化ってのが原因の問題じゃない。
「自分たちのグループさえ良ければいい」
共通するのはこれかなぁ…
もちろんこれって大聖寺だけじゃない、市、県、国レベルでも出てくる人間の悪いとこ。
それが完全に悪いサイクルに入っちゃってる感じ。
街に住んでない人間だからこそ余計にそれを強く感じてしまう。
そんな街を変えていくのは若い子たちへの教育だと思う。
まずは家族、仲間、地元への関心。
みんなで大聖寺という街を育てる感覚。
そして自分たちの街の問題に対して一石を投じるどころか十万石を投じてでも、昔のように明るく元気な街の活気を取り戻してもらいたいな。
ポチポチ。
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