先日6月26日、アメリカの連邦最高裁判所は、同性婚を認める判断を示した。
これにより事実上、全米で同性婚が合法化されることになる。
これって自分にとって結構大きなニュース。
素敵なのが、連邦最高裁判所の裁判所Anthony Kennedy判事による最後の一文。
人と人のさまざまな結びつきの中で、結婚以上に深い結びつきがあろうか。なぜなら結婚とは、最も崇高な愛、忠誠、献身、自分を犠牲にしてでも守りたい気持ちを含んでおり、家族を抱くことだ。婚姻関係を結ぶことで、二人の個人は、いままでの自分をはるかに超えて深みのある人間になる。
今回の訴訟の申立人たちは、たとえ死が二人を分かつとしても、なお途切れない愛情が、結婚にはあると証明している。ゆえに、申立人たちが結婚という営みを軽視しているとするのは、大きな誤解である。彼らの申し立ては、結婚という営みの意味を尊重しているがためであり、だからこそ、自らもそれを成し得んとしているのである。
申立人たちが望むのは、非難され、孤独のうちに生涯を終えることのないこと。また、古い体制や思想のために社会から排除されることなく、生を全うできることである。法の下に、平等なる尊厳を求めているのである。憲法は、彼らにもその権利を付与している。よって当法廷は、第六巡回区控訴裁の判断を破棄する。
上記のとおり命令する。
(No union is more profound than marriage, for it embodies the highest ideals of love, fidelity, devotion, sacrifice, and family. In forming a marital union, two people become something greater than once they were. As some of the petitioners in these cases demonstrate, marriage embodies a love that may endure even past death.
It would misunderstand these men and women to say they disrespect the idea of marriage. Their plea is that they do respect it, respect it so deeply that they seek to find its fulfillment for themselves. Their hope is not to be condemned to live in loneliness, excluded from one of civilization’s oldest institutions. They ask for equal dignity in the eyes of the law. The Constitution grants them that right. The judgment of the Court of Appeals for the Sixth Circuit is reversed. It is so ordered.)
自分は大学時代のほぼ毎日を街で過ごしていた。
遊ぶ友達は10以上歳の離れた年上ばかり。
そんな中にはゲイのお兄さんもいた。
最初は知らない世界だったので、興味津々だったが次第に恋愛対象以外は自分達となんら変わらないことで同性愛者であることはそれほど気にならなくなった。
というか、その男の理想の女性像を分かっていて、だけど絶対にそこにたどり着けない感覚。
繊細な美意識や独特のセンス。
そして世間からは公には認められないアングラな感情。
その独特の世界観は当時の自分に新たな刺激を与えてくれた。
大人になってからも外国人の友達で何人もゲイの子はいたし、自分にとってはそれほど不自然な気はしない。
今回の法律の改正によって世界に同性婚の流れがくれば、いつか日本でも・・・
幸せの形は色々。
もちろん彼らにしてみれば、法律なんか関係ないっていえば関係ない。
だけど公に認められることになったのは彼らにとって大きな一歩になったのではないかな?
地球上のみんなが幸せになるために、そこは認めていい部分なんだと思うがみなさんいかが?
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