話の中で神だとか感謝とか言う言葉を多用する人ってだいたい胡散臭い(笑)
でも愛を語る人はちょっと違う場合がある。
自分に都合の良い愛じゃなくて、お互いのためになる愛。
お互いを高めあう感じか…
中学生の勉強なら
採点者にわかるようにきれいな字で書く
数学の途中式を丁寧に述べる
イコールの位置を揃えて見やすくする
相手に伝わる声のボリュームでしっかり喋る
やりっぱなしにしない
宿題をちゃんとやってくる
(ちゃんとってのはできないところをできるようにしてくるってこと)
お家なら
長くトイレやお風呂に居座らない
部屋をきれいにしておく
いただきますとかありがとうの言葉
靴の踵を踏まない
とかね。
それは相手に対する気配りはすなわち相手に対する愛情であり、そのまま自分に対する愛情として返ってくる。
昔の人はそれを躾と呼んだのではないだろうか。
トイレでトイレットペーパーの芯をその辺に置きっぱなしにしたり、新しいものと交換しない子がいて積み上げてあったりするとガッカリするんですよね~。
最近のご家庭ではそういう躾をしていないのでしょうか?
なんて話を以前保護者会でした時、「そんなの躾なんですか?」と返されたことがあった。
ゴミが落ちていたら拾う、困っていた人がいたら助ける、トイレットペーパーが切れていれば交換するなんて当たり前だし、それって次に使う人、周りの人たちに対する愛情ってやつの一環では?
それを身に美しいと言うのでは?
う~ん…なるほど…
そのご家庭は、最終的には塾をやめるという選択をしていった。
宿題をやりたくないという言葉を残して…
さすがというかなんというか…(笑)
勉強ができるできない、高校に合格するしないとかは関係なく、宿題は先生と生徒との約束事。
やってくるのが当たり前だし、結果勉強ができなくなっていくと愛情の返しようがなくなる。
自分が困ったときには助けを求めるのに、自分は助けない。
そんな人は将来親以外の誰かに愛され続けるだろうか…
ちょっと考えたらわかることなのにね(笑)
努力もしないのに自分が勉強できないことを周りのせいにする子もいる。
そもそもそれってだいたい親の躾の問題なんだけどな…
愛情を与えることと甘やかすことは違う。
自分に都合の良い愛は別名自分勝手と言う。
たくさんの人から愛される人は自分も周りも愛せる心の美しい人なんじゃないかな。
自分の子供にそうなって欲しいと思わないのかなぁ…?
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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