この前中3の国語の授業でこんなことわざが出てきた。
禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)
幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだということのたとえ。
このことわざの問題、本を読まない子は「かふく」も「あざなえる」も読めないし、当然意味も知らない。
まぁ今の時期になって本を読み始めても受験には間に合わないけど(笑)
読書は受験が終わってからゆっくり楽しんでもらいたい。
国語はテクニックも大事だけどやっぱり語彙力がものをいうからね。
特に石川県の入試は国語がキーだから早めに力をつけていきたい。
ところで幸福と不幸はいれかわりなのか?
最近授業で「自分が神様ならどんなことしたい?」って聞いてる。
ある子が「学校を無くしたい」って言ってきた。
「神様にならなくても学校行きたくないなら行かなくていいよ。
その代わりすぐ社会に出て働けばいい。
その自信があるなら小卒だろうが中卒だろうが関係ない。
もしただ勉強したくないから…くらいの理由なら大間違い。
今は世の中に出るまでに修行させてもらってる時期なんだってわかってないなら君の不幸はこれから先もずっと続くよ。」
と言っておいた。
今までの経験上不幸は不幸を呼ぶ。
考え方が甘い子はただでさえ不幸なのに自分でさらに不幸を呼び込む。
そこに気づかないのが不幸(笑)
努力も行動もしないで事態が好転するなんて思ってるなら大間違いなんだよね。
どれだけ甘やかされてるんだか…
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