女性史
もうすぐ高校入試、石川県の問題はテーマ史を出してくるので女性史なんてのも面白いかと…
昔は筋力の強い男と子を生む女という生物学的な両者の違いが互いの役割を分けた。
その役割は大きくは変わらないが、長い歴史の中で女性の地位という面ではかなり違う。
中学の教科書で良く出るものを年順に並べていくと
弥生から奈良時代
古代の女性統治者
- 卑弥呼(生没年不詳:3世紀)
- 魏志倭人伝に記される邪馬台国の女王。「親魏倭王」の称号を得た謎の多い女性。
- 推古天皇(554~628)
- 日本史上に記される最初の女帝。
- 持統天皇(645~702)
- 天武天皇の皇后であり歌人。大宝律令編纂に尽力。
平安時代
女房たちの活躍
摂関期の後宮では、女性の文字である「平仮名」を使った文章が発展し、華やかな国風文化を支える才知ある女房たちが活躍。
- 清少納言(966頃~没年不明)
- 一条天皇皇后・藤原定子に出仕した。『枕草子』宮廷生活の回想や自然や人物の感想・批評。
- 紫式部(生年不詳~1014以降)
- 藤原彰子に出仕した。『源氏物語』物語文学の最高峰。後世の日本文化に影響。
- 藤原道綱母(936頃~995)
- 最初の女性日記文学『蜻蛉日記』を編纂。
- 和泉式部(生没年不詳)
- 和泉式部日記を編纂。
- 菅原孝標女(1008~没年不明)
- 更級日記を編纂。
鎌倉・室町時代
妻・母・後家として政治を動かす女性
武家政権においては、女性も妻・母・後家として国を動かした。
- 北条政子(1157~1225)
- 頼朝の死後、幕政の実権が北条氏に移り主導権を握る。承久の乱の際、御家人たちをまとめる。
- 日野富子(1440~1496)
- 室町幕府8代将軍・足利義政の正室。夫に代わり幕政の重大案件を決定していた。
- ちなみに北条政子と日野富子・淀殿は日本三代悪女と呼ばれている。
戦国時代
二つの家の間に立つ人間として政治に関わる女性
戦国時代、結婚により他家へ移った女性は、実家と婚家という二つの家の間に立つ人間として家や国同士の交渉を担い、領国経営に役割を果たした。
- お市の方(1547~1583)
- 織田信長の妹で浅井長政の正室で、後に柴田勝家の正室。茶々、初、江の母。
- 高台院/北政所/おね(生年不詳~1624)
- 豊臣秀吉の正室、後家として経済活動を行った。
- 淀殿/茶々(生年不詳~1615)
- 豊臣秀吉の側室、秀吉没後、息子・秀頼の後見として政治に関与した。
- 出雲阿国(生年不詳)
- 歌舞伎踊りの創始(阿国歌舞伎)、女歌舞伎の盛行。
江戸時代
表の政治にも関与した正室と奥女中
江戸城大奥
江戸城大奥の中で、将軍正室である「御台所」は権威ある存在であった。
家の存続を保障する役割がある為、側妾が生んだ子や養子であっても、嫡母・養母として子女の養育の責任を担った。
奥女中は家の女性家臣団と位置付けられる。
職制や職階があり、職階を上る事も可能。
出身は公家や大名の娘から旗本・御家人の娘、江戸の町人や近郊の名主クラスの家の娘など様々。
- 崇源院(1573~1626)
- お市の方の三女、2代将軍徳川秀忠の正室。
- 春日局(福)(1579~1643)
- 3代将軍徳川家光の乳母、大奥制度を整えた。
- 東福門院(徳川和子)(1607~1678)
- 秀忠・崇源院の五女、後水尾天皇中宮、女帝・明正天皇生母として院号宣下。
身分制の外に置かれる女性
近世ではいわゆる士農工商の身分が固定化されるが、「家」代表者の男性のみに与えられた為、女性はその制度の外に置かれた。
小家族成立の流れのなか、中世に比べると「家」を持つ男女は増加し、男性優位社会ではあるものの、夫婦共稼ぎを行い、家計に貢献する女性は多かった。
多彩な江戸期の自己表現
近世は女性の公教育の場はなかったが、家庭教育や私塾などで学ぶ女性がいた。
様々な階層の女性たちが俳諧、和歌、日記、散文、黄表紙などの多様なジャンルで自己を表現した。
- 加賀千代(1703~1775)
- 江戸中期の俳人「千代尼局集」
- 葛飾応為(生没年不詳)
- 葛飾北斎の三女、浮世絵師・画家
幕末に活躍した女性と解体される女性の役割
幕末期には維新を目指し活躍した女性がいた一方、天璋院や和宮による徳川家存続への働きかけが行われた。
幕府崩壊とともに奥女中の果たしていた公的・政治的役割は消滅した。
明治新政府の下、天皇を取り囲んでいた女官は新たに再編された。
- 天璋院(篤姫)(1837~1883)
- 13代徳川家定正室、幕府崩壊の際、和宮と共に徳川家救済に尽力した。
- 和宮(1846~1877)
- 14代徳川家茂正室、江戸城総攻撃回避に尽力した。和宮降嫁として教科書に載っている。
明治・大正時代
自由民権運動と女性の権利を求めた運動
明治時代の自由民権運動の盛り上がりの中では、女性の民権家も登場した。
1925年に成立した普通選挙法には、女性の参政権がなく、政治的・社会的な女性の権利獲得を目指す運動は続いた。
- 平塚らいてう(1886~1971)
- 「青鞜」創刊、家族制度の批判を行い、母性保護論争を展開。
- 樋口一葉(1872~1896)
- 「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表。2004年(平成16年)から発行されている五千円札の肖像となった。
- 与謝野晶子(1878~1942)
- 「みだれ髪」を刊行し、母性保護論争を展開。
近代の良妻賢母思想
近代化の中で、女性のあるべき姿として良妻賢母思想が登場した。
「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業において家内領域を女性の責任とする考え方はこの頃から。
戦後~現在
女性の差別撤廃を目指す
戦後、女性参政権が実現し、多くの女性議員が誕生した。
女性たちは政治への関心を高め、社会を動かす力を獲得。
- 市川房枝(1893~1981)
- 「新婦人協会」を結成、婦人参政権運動を展開し、参議院に5回当選する。
と、長い歴史の中で輝いていた女性たちはたくさんいる。
時代によっては女性が虐げられたこともあったかもしれないけどね。
でもうちにも娘が1人いるけど、どんな時代であっても幸せな人生を送って欲しいと子を思う親の心は変わらないのではないかな。
お互いのことを想いやれるようしっかりと教育を受け、男女が協力してより良い時代を作っていってもらいたいなぁと思う今日3月8日は国際女性デー。
母がいるから生まれてこれたし、妻がいるから幸せに生きていけている、娘がいるから未来が楽しく思える。
女性に感謝です🙏
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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