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愛情と能力の差

 家庭の中で一番人気があるのは一番力がない赤ん坊。

そして世の中で人気があるのは才能があり、能力に長けた人。

家庭と社会では「愛情と能力」の差で人の扱いが決まる。

なんて国語の話にあった。

子供は幼少期に愛情を注がれないと歪む可能性が高いという。

でもその愛情の形は成長の家庭で大きく変わっていくし、親と子の距離感みたいなものも変わっていく。

いつまでたっても幼少期と同じように甘やかしっぱなし

特に、「あなたが責任をとるのなら、お金を出すから好きなことをやりなさい」

は結構紙一重の愛情だと思う。

なぜか塾に通うことにはそんな風に言う親御さんはあまりいないけど(笑)

無制限に出てくるお金は子供の依存心を大きくしてしまう。

自分で稼いだお金でもないのに、あたかも自分のお金や実力であるかのように錯覚させてしまう。

そんな子供は勉強も答えを与えてもらえるかのように思いがち。

社会にでればそんな環境はどこにもないというのに…

親はしっかりと子供にやらなければいけないことを教えておかないと後々困るのは子供の方。

 今塾では学力テストの真っ最中。

テスト前のわずかな時間にひとりの中3生が質問にやってきた。

「ここらあたりの問題がわかりません」なんて大量に質問をもってくる。

ちゃんと勉強を積み重ねて来た子なら誰もができる問題ばかり。

でもそれ以前にマスターしておかなければいけない中1や中2の過程をほったらかして来た子に短時間で教えられるはずがない。

もちろんその問題の解法だけなら簡単に説明できる。

でも同じ問題がでるわけでもない。

だからこちらが教えたいのは根本原理。

それは簡単に身につくものではないのに、それを喫茶店でお茶でも頼むかのように軽く聞いてくる。

それならもっと早く聞きに来るとか方法はあったろうに…

今までに何度も理解をするチャンスを与えてきたのに、ことごとく放置してからのこの質問は正直呆れる。

ただ教えるだけ…は本当の愛情じゃないと思う。

自分で考え、悩み、解決する。

そして次のステップへ。

できる子たちはみんなそれをやっている。

今回は無理でも次回までに渡してあるテキストをしっかりやって来て欲しいもの。

問題点を指摘し、時には突き放すことも愛情。

ヘタすると来年の今頃には社会に出ている子もいるだろう。

そこに自分にとって都合のいい愛情なんてものはないんだけどな…

 今日は高1の中間テストの結果が返却されてきた。

みんなそれぞれに頑張ってる結果がでてる感じ。

高校生達にもなると、それまで習ったことをどう使うか…に勉強のやり方が変化していく。

こんな時期に全てを依存してしまうようでは高校生になった意味がない。

もちろんうちの高校生達にそんな子は一人もいない。

みんなが自立心と自律心をもって机に向かっている。

そんな姿を中3生達はどう見てるんだろうか…

見本となる後ろ姿がこんなに揃ってる環境はそうそうないんだけどな〜。


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P.S. 結局今朝は夢の中でも聞きに来た中3生に数学をずっと教えてた。

なんだかんだ言っても我ながら気になって仕方がないらしい(笑)

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