ロータリーの森
朝6:30 気温4度 天気は小雨
今日は小松ロータリーの河川清掃ボランティア
小松市民病院の裏にある末広緑地公園内にロータリーの森はある
毎年そこから歩いて前川の堤防のごみを拾う
向かう途中、昔からのメンバーさんからその周辺(下牧・育成町)の戦前の光景を聞いた
末広体育館や野球場あたりには競馬場があり、たくさんの大人が目をギラギラさせて押し寄せていたそうだ。
子供たちは馬が走る姿を見たくて毎日通っていたとか。
安宅から線路が続いていてトロッコ電車が競馬場まで走っていた。
そのトロッコで砂を運び、競馬場の中にあった大きな池を埋めたそうだ。
昔は鉱山もや大きな工場もたくさんあったり、いろいろな層の人たちがたくさんいて活気があったんだろうな。
そして末広緑地公園の辺りは昔は川だったそうで、市がそこを公共のゴミの埋め立て場にしていたとのこと。
箪笥のような粗大ごみだけじゃなく、生ごみも捨てていて、夏に車でごみを捨てにくるとものすごい悪臭、しかも車のドアや窓にハエが大量にとまるほどとんでもなく不衛生な状況だったそうだ。
当時は今のように高温にして生ごみを燃やすような技術も施設もなかったとはいえ、豪快というか、なんでもありというか(笑)
もうその川がいっぱいになり、市がそのまま土で埋め立てて公園を作った時に小松ロータリーの基金でさらに大きな公園にしたとのこと。
俺の星
河川敷のごみを拾っていると、空き缶やペットボトルだけじゃなくて、ラジカセや大きな発砲スチロールなんかも落ちていた。
流れてきたものもあるんだろうけど、処分に困りそうな家庭から出る包丁や缶詰の空き缶、中身が少し残ったサラダ油などが一緒に入った袋を見つけた。
これは確実にここに持ってきて茂みに投げ込んだんだろうと想像がつく。
昔なら許されたことでも、今それをやるなら頭がおかしい人。
自分勝手な人間はいつの時代にもいるもんだ。
俺の星を汚すのはやめてもらいたいぜ。
自分のいのちは自分のもの
たしかに他人のものでもないし国のものでもない
でも自分の命は自分のものだけど、自分だけのものではない。
というか、自分の命や人生は自分の力だけで存在できるものではない。
かならず家族や地域、国家、自然、地球などなど
人は生かしてくれる環境と良好な関係があってはじめて自分で自分の存在を認識することができる。
だから自分勝手なことをしても世の中には関係ないとか思ってる人は自分がわかっていないのだから当然幸せになる道もわからないだろうし、ましてや生きる意味など見つかることもないと思う。
自分の周りに優しくない人はそれがまわりまわって自分の首を絞めていることに気が付かないんだろうね…
別に脱炭素とかSDGsとか難しいことにまで意識しろというのではなく、自然に感謝して自分が出したゴミくらいゴミ箱に捨てたらどうですか?と言いたいだけなのだが(笑)
朝からいい運動になったし、昔の小松市の話を聞けたのも良かった。
家に帰ったら昼まで寝ちゃったけど、こんな一日の始まりもいいね!
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
お時間ございましたらポチポチ↓の応援よろしくお願いいたします。
Be First to Comment
コメントを投稿するにはログインが必要です。